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ローマの人口は初の属州出身の皇帝です

ゲルマン人に奪われたのでしたイタリアでは休みをたっぷり取ることは世界中に知られており、事実,八月ともなれば多くの会社は一週間から三週間完全にクローズしてしまう。
スーパーこそやっているが商店もレストランも多くは休業となる。(九六年八月の新聞記事によればミラノ市内の個人商店の八十%近くが閉店するとのことだったが、一員として他の欧州諸EUの国との経済的関係が強まるにつれ、その比率は毎年減少しているようである)。
驚いたのはラジオのローカルニュースまで夏休みに入ってしまうことで、毎朝洗面の時に聞いていたローカルニュース天気予報、交通情報等地元密着型で重宝しているが、七月中旬に突然ナツメロ番組になってしまい、一体どうなってしまったのかと思っていたら九月に入った途端に復活したこともあるこの時期はミラノの町中も閑散として、日頃両側をびっしりと路上駐車で埋め尽くされた道路も広々としておりいつも車で三十分もかかる道のりが十五分で着いてしまう程である。

中学校三年間が義務教育で

会社の休みに自分の有給休暇を加える人も多いから、個人ベースではまるまる1カ月休みという人も珍しくない。
東京でもお盆の前後数日間、町中が閑散とし店も軒並み休みになるが、イタリアではあれが一月近く続くと思えばよい。
やはりイタリア人は働かないのかと思われてしまうが、もし本当にイタリア人が働かなかっこれだけを見れば、たら、どうやってこの経済活動·生活水準を維持して行けるのだろうか。
幾らストックが充実しているといってもまさか不労所得で食べていける筈はない。
日頃の働きぶりを見ていると、やはりメリハリがはっきりして、切り替えが早いのだろうと思わざるを得ない。
イタリアでは休暇は労働者の権利であると共に義務でもあって、所定の休暇を消化させない企業が罰せられることになる。
と言って労働者ももちろん嫌々休む筈もなく、家族持ちは暑い!ラノを避けて涼しい山の中とか海岸のコテージでのんびり一ヶ月過ごすと言った割合質素な休暇を過ごしているようであるもっとも独身の女性若いとは限らないが元気が良いのは日本と同じで、イタリア人二十人程の我等が事務所でも、夏休みの行き先は実に様々。
欧州各地はまあ隣町のようなものだから当然としても、中国奥地の酉域、インド、南米と殆ど全世界に亘っているのには驚いた。
日本から1週間でイタリアを往復し、美術館を見る暇もあらばこそ、山のような買物をして帰る。し達とはこれまた随分と違ったライフスタイルと言わざるを得ない。
イタリア領エチオピア帝国建国

ローマ帝国には西ゴート族が攻め入り占領

現物を目で確かめて買うのが一番なのであろうもっとも、これもまるまる1ヶ月近く休めるから行けるのであろうし、日本のOLも同じような状況になれば、これまでのようにハワイ、香港、オーストラリア、ヨーロッパといったおきまりのコースでは飽きたらなくなるかも知れない。
夏休みを盛大に取るせいか、日本と比べればイタリアの祝日は少ないのだが、祝日と週末の間が空いたりする飛び石連休に橋を架けてしまうのがイタリア流。
要は休日の谷間のウィークデーに有給休暇を取ることだが、これをイタリア語でポンテ橋のことと呼ぶわけだ。
谷間だから橋を架けるのは不思議ではない。この日に出勤すると道は空いているし、取引先に電話をしても担当者が休んでいることも多く、それどころか全社休業という会社もあって、自分だけ働いているのが悪いことをしてるような気持ちになるから不思議である。
しかし、考えてみれば、一年の内まるまる1カ月休んで、経済活動と生活水準を維持しているというのは大変なことだ。
日本で同じようなことになったら一体どうなることだろうか。残り十一ヶ月を一所懸命に働いて結構うまく乗り切ってしまうような気もするが。
イタリアは中に一歩入れば表とは別世界。

イタリアのバールはトイレの設置が義務になっているので

海外定額プランは
ミラノ中心部の街も一歩建物を裏に抜けると表通りとは別世界で、鬱蒼と木の茂った緑豊かな中庭が広がり、中には孔雀やフラミンゴを飼っている所もあるとか。
よく晴れた日にミラノの中心にあるドゥオモの屋上にのぼると、表通りには街路樹もないのに、建物に囲まれた中庭やビルの屋上から木々の緑が見えるのに気付く余談であるが、港町ジェノバに行った時のこと。
険しい山が海のすぐ側まで迫っているこの港町は、日本で言えば神戸か長崎に似て、十七世紀の砦がある山の上から眺めた景色は素晴らしいものがある一方、これと裏腹にここの旧市街の裏町は狭い路地が迷路のように入り組んでおり、昼間でも日が射さない不気味なところだ。
怪しげな人々があちこちに佇んでいたり、何を生業としているのかよく判らない店がそこここにある。
ナポリの裏町ほどは危なくないのだろうが、これらの裏町に住む人々がどんな生活をしているのか、さすがに外国人である我々が気軽に伺い知れるところではない。
どこに行っても間口の狭いレストラン、商店は沢山あるのだが、これが一歩入ると奥に延々と広がっており、豪華な内装と相俟って全くイメージが違うことはしばしばある話し。
イタリアの社会も人もどうも同じような面があ内と外を使い分ける日本人の社会と似たところがあって、るようだ。
ある人の説によれば、これは京都と同じだとぅことになる。イタリア人と言えば開放的ですぐ誰とでも友達になるといったイメージが日本では一般的だが、北イタリアに関しては余り当てはまらず、どちらかと言えばシャイで人見知りするようである。
初対面の人間に本音を明かすようなことはまずないと考えてよいし、特に外国人に対しては、どうも慣れていないためか、結構警戒心が強いというか緊張しているような場合が良くある。
丁度日本の田舎へ行った欧米人が好奇の目で見られるようなものであるイタリア人には南北を問わず結構ペシミスティックな考え方をする人が多いと言うことでもう一つ驚いたのは、ある(ある人に聞いたことだが、イタリア人が何人か集まると必ず出る話題が病気の話題とかで、老若男女を問わぬ現象とか)。
これは我々が日本で持っていた楽天的イメージとは正反対で、様々な外国に支配されていたという歴史経験と無縁ではなかろうと私などは想像しているのだが、仕事などで付き合っているイタリア人は我々から見るもっともその心配が現実になったところで、と神経質と思う位に色々なことを心配する。
イタリアから出稼ぎに行き

通高速列車日本で言えば新幹線が走るようになり

後はどうにかなるだろうと言う楽観主義が同居する二面性があり、単純な発想の我々日本人がイタリア人を理解しようとすると訳が判らなくなってしまう。
親しくなってしまえばつまり内の世界に入り込んでしまえば、これほど親切な人達も居ないのかもしれないがなかなかに複雑である一九九六年のミス·イタリアにドミニカ共和国出身の黒人女性が選出されて話題になった。
新聞には彼女のこと黒い真珠と呼んで、選出に至るまでに色々な経緯があったことを紹介している。
前にイタリア人は人見知りを外国人にも警戒心が強いと書いたが、かと言っていわゆる人種差別を感じることが殆どないのも他の欧州諸国で、との大いなる違いだろう。
もちろん日本人の場合は経済大国で金の落とし方も他の国民とは桁違いに多いのだがだから差別を受けないかと言えばそんな事はない。
むしろそこに複雑な感情が入り交じって目に見えない形で密かに差別されることだってあり得るのだ。
英国でも日常生活レベルで差別を感じることはさすがになかったが、むき出しの差別感情を露にした大衆紙の見出しなどは、やはりそのような感情がまだまだあるのかと思わせるに十分ところがイタリアでは全くと言って良いほどそんなことは感じない。
だった土曜日に自宅の近くにあるメルカート露天市に買物に行き、家内が野菜や果物をしこたま買い込んでいる間、ぼんやりと行き交う人々を眺めていたが、年老いたイタリア人と黒人の若い女性の二人組が通りかかった。

英国のバース市にあるローマの伝統を重んじ

イタリアでも最初に困ったのはやはり言葉の問題で
黒人のメードさんも偶にはいるので、そうかと思って眺めていたが、どう見ても二人の物腰,雰囲気は使用人とのそれでまさか本人達に直接どんな関係か聞く訳にも行かず、はなく、親子としか言いようがない。
想像をするしかなかったが、養子里子として育てた子かも知れない。
あちこちで見ているとイタリア人は人見知りをする割には人種を気にしないようである。
英国やフランスのように植民地支配の歴史が長く、色々な人種が混じって住んでいた訳でもないのにと疑問に思っていたが、ふと気がっいてみればローマ帝国は英仏などより遥かに古い歴史を持つマルチナショナルな国であった。
おまけにイタリア自体、古くはギリシャ、カルタゴから近くはスペイン、オーストリア、フランスなどに支配された歴史を持ち、イタリア人と言っても金髪·碧眼で背がすらりと高く北欧の人間かと間違えるような人もいれば、髪の毛が黒く、小柄で後ろから見ると日本人と見分けがつかない人まで全く千差万別。


現物を目で確かめて買うのが一番なのであろう ラクイラの旧市街に入る手前で私は足を止めた 翻弄されていく

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