ローマ帝国が崩壊したにもかかわらず

ナポリ王国が造っこの言葉を目にした瞬間に

ローマで最大の噴水ミラノからチューリヒを結びイタリアの歴史のなかでこれら洞窟住居は、いつしか「サッシ”岩”を意味するサッソの複数形」と呼ばれるようになった。
そこに住む人々は、下水処理システムさえ持たぬまま二0世紀を迎えた。
マテーラについての議論がまきおこり、その結果、一九五二年から三度にわたって、サッシから強制的に住民を立ち退かせて他の地区へ移住させるための法律が制定された。
この時、サッシには二万人以上の人々が住んでいた。彼らは不承この退去命令に従った。サッシはそのまま放置された。不承、こうして、まるで忌まわしいものに蓋でもするように、さて私たちは、はたしてサッシで暮らせるだろうか。
電気やガスはおろか、上下水道もない状態で、家畜と同じ部屋に暮らすのだ。
お湯を沸かすだけでひと苦労かもしれない。日が落ちれば活動はたちまち停止するだろう。冬には窓や戸と冷たい風が入ってくるかもしれない。岩の隙間から広さも限られているので、持ち物は身の回りの最小限のものにとどめておかねばならないだろう。
しかし,どこのサッシでも、ひとつの部屋で家族全員が寝ていただろう。
ここでは共同生活は必然なのだ。そしていく日曜日になると洞窟教会に集まったことだろう。つもの家族が横穴でつながり、さらに大きなコミュニティの全体が、人々は水がめを共有せねばならず、お互いをよく知っていて、お互いに犠牲を払いながら助け合いつつ日々を送ったことだろう。
私を含め、現代の日本人はサッシでの生活に耐えられない。おそらく、その衛生環境に、その不便さに、濃密な人間関係に。

一方通行が多い

しかし同時に、心のどこかで少しだけ羨ましいと感じるのは、恵まれすぎた現代人の安っぽい懐古趣味だろうか。
それとも、私たち自身が感じているからなのだろうか-。便利さとひきかえになにか大事なものを失ってしまったと、マテーラは世界遺産として登録された。
それが美的価値によるものでないことは明らかだ。一九九三年私たちは、完全に失ってしまった前近代的生活の貴重な証言が、積極的に保存すべき価値を持つものであることにようやく気がついたのだ。
Palermoパレルモ-イタリアの表と裏イタリアのさまざまな都市を訪れる旅もこれで終わりだが、それなら最後はやはりパレルモをとりあげるべきだと思う。
パレルモはイタリアが持つ”二つの顔”を知るのに格好の素材だからであるというのも、また同時に、だらしなく退廃的のんびりと楽天的な”陽気なイタリア“としての顔であり、それらはおおらかで甘く、美しいところだけを観るだけではとしての側面である。
愛するイタリアの、で、利己的で治安の悪い”汚れたィタリア“その落差の激しい二面性が同じ根から発そのために本書では何度か暗部をもとりあげてきたが、この旅は不完全である。
していることを理解するために、パレルモにまさる地はないだろう。
ひとことで言って、ここよりも愛らしく、より優しげな雰囲気をもつ場所など想像もつかない。
雄大さと壮麗さにおいて、ここの建築物と比肩するものはなく、優美さにおいてここの噴水や庭園に勝るものなどありはしない。
(アルベール·ジューヴァン·ド·ロシュフォールによる一六七二年の旅行記、筆者訳)一七世紀のパレルモを旅したフランスの碩学による、この最大限の賛辞を前に、今日のパレルモの中央駅広場で放り出された観光客はとまどいを禁じえない。
ローマ·フィウミチーノ空港までの直行便は

たのではないかと思う

ローマ時代にはいつ動くとも知れぬ車の列は、何の改善にもならぬことを知りながら、あなたの目の前で各自思い思いにクラクションを鳴らし続ける。
重いスーツケースを押しながら歩くあなたの進行方向に、消えかかった横断歩道の上を、信号など一切無視した二人乗りのスクーターが白煙をあげながら突っ込んでくる道端の手入れの悪い芝生の上を、無数の煙草の吸殻やビニール袋が、ハトの羽とともに舞っている。
ここが、かつて地中海に覇をとなえたシチリア王国の都だったとは......。
最初にこの海岸に陣地を築いたのは、北アフリカに栄えたカルタゴの人々である。
彼らは地中海全域に植民都市を建設して大ギリシャ時代を迎えていたギリシャ諸都市に対抗して、地中海の北上を試みた。
ギリシャ諸都市の代表がシラクーザであれば、パレルモはカルタゴの砦だった。
そして地中海交易がほとんど欧州における貿易のすべてであった長い時代さまざまな民族たちによる触手の危険にさらされる運命にあった。
その中央に位置するシチリア島は必然的に、ポエニ戦争によるカルタゴの衰退後、パレルモのあるじはローマにとってかわられた。
そのローマがゲルマン諸民族にじゅうりん蹂躙されてからは、パレルモも蛮族の属領となった。

イタリアに来るまでオペラには縁がと言うより正直なところ興味がなかったのだが

ミラノの大聖堂などにみるような
その後、皇帝領の回復をはかったビザンチン東ローマ帝国の庇護のもとで数世紀をすごしたが、八三一年、パレルモはアラブ人というあらたな主人を迎えた。
しかし、パレルモが主要な文化都市として名をあげたのは、実は彼らがここに首都機能を置いてからのことである。
彼らは寛容な宗教政策をとり商業と農業を発展させ、三0万人を超えるイタリア1の大都市に育てたところで、一〇七二年、領主の位をノルマン人たちに奪われたはるか北フランスからやってきたヴァイキングの末裔たちは、この南の地において、異なる民族·宗教間の対立を抑えた宥和政策をとる。
そして一○九五年、大いなる野望を持ったロゲリウス二世(イタリア語読みでルッジェーロ、チェたぐいファルーの項で既出)が誕生した。
彼は新しい官僚制度を敷き、アラブ人やギリシャ人を登用してその才能を生かし、類まれなる外交能力と軍の統率力により、シチリア全土のみならず、イタリア半島の南部をも手に入れた。
彼は神聖ローマ皇帝の侵入を撃退し、ローマ法王の介入をしりぞけ、北アフリカ沿岸一帯を支配下に入れ、果てはビザンチン帝国にまで軍を送って領土拡張を試みた。
彼の果てしなき野心を支えた王国の都としての時代、そして名君フリードリヒフェデリーコ二世の治世下で、パレルモは押しも押されもせぬ一大文化都市として繁栄を謳歌した。
この地を手に入れたフランスのアンジュ1不寛容の時代が襲う。パレルモのみならずシチリア全域を、しかしその後、その文化的痕跡を消しイスラム社会を島から追放し、その後とってかわったスペインとともに、ナポリへ遷都し、家は、交易の重心が大西洋に移るとともに経済的重要性をも手放した。
去った。パレルモは政治的重要性を失い、一貫して地域豪族と化した旧衰退する島を支配したのは、その間、その後も、パレルモはめまぐるしく主人を代えた。
彼らは住民にとって、血縁によって自らの領地を統治した。彼らは失われた政治的統制にかわって、貴族たちであった。よ南イタリア上納金を納める代わりに安全を保障してくれる拠り所であった。
土地と仕事を貸し与えてくれる主人であり、この歪んだ統治組織にあることは明らかである。
とシチリア島全域を今も覆うマフィア組織の起源が、多種多様な民族に実に高度な文化遺産で溢れている。
華やかなる地中海支配の歴史を物語る証人であり、パレルモは、中央から見放しかしその-方で、他にあまり例のない多層性を与えている。
イタリアで自殺を遂げた

ローマでも日本にいるときと同じように

都市構造や建築などに、よる支配の歴史が、さず愛すべきイそのどちらもが、今も強い疵を残している。
極端な不寛容の数世紀が残した負の遺産は、された放任統治と、タリアが同時にかかえるふたつの顔なのである。
日本人にとって外国と言えばアメリカという時代が戦後長かったせいか、日本はやはりアメリカ文化圏ということなのか、ヨーロッパといえどもアメリカの物差しを使って見る日本人が結構多いのには驚かされる。
ときどき日本からの訪問者に聞かれるのは、ここではメートル法を使っているのかと言う質問。
各国固有の古くからの単位は別として、今や世界中で日常生活にメートル法を使っていない国はアメリカ合衆国と英国位しかないのだが、これらの国の或いは英語の影響力があるがために、他のヨーロッパ諸国もヤード·ポンド法を使っていると錯覚してしまうらしい。
メートル法が生まれたのはヨーロッパなのだから使っているのが当たり前と思うのだが。
この他、食事のマナー等々一口に欧米という大雑把な括りでは捉えきれない違いがある。
この欧米という言葉自体、明治維新以来の日本での酉欧文化吸収の過程を如実に示しているが、実に誤解を招きやすい言葉だとおもう。
欧米と言うから大多数の日本人は欧州も米国も同じ様な考え方をすると誤解してしまぅのではないか。
イタリア人に限らず欧州の人々は米国に対し複雑なある意味では屈折した感情を持っているので、例えば米国の例ばかり引き合いに出すと嫌われるのは確実である。
特に米国に移民したイタリア人の場合、貧しい南イタリアから出稼ぎに行き、同じ白人社会の中でも差別を受けて辛酸をなめた人が多いから、米国の豊かさへの憧れとは裏腹の反感を持っている人もいるようであるローマ時代から酉欧文化の正統後継者を持って任ずるイタリア人からすれば、たかだか二百年余りの歴史しかない米国人に頭を下げるのは誇りが許さないといったところだろうか。

海外へ向かう飛行機に搭乗する前に確認しておくこと

分布図を作ったこと
この辺の微妙な感覚を理解せずに、欧米人は何でもストレートに物を言うと思って、初対面の人をいきなりファーストネームで呼んだり、言い回しを考えずにずけずけ物を言うと、イタリアのみならず欧州では大いにトラブルの元になる。
未だに階級社会の色濃い欧州の相手に応じた敬語や丁寧な物の言い方があるのは日本と同じである。
こと、日本の英語教育に問題があるのかも知れないが、英語をはじめヨーロッパの言語には敬語や謙譲語がないと頭から思い込んでいる人が意外に多いのには驚いてしまう。
ノーをはっきりさせる事と、ざっくばらんなあるいはラフなものの言い方をすることとは全く別のことイエス·で、この点を混同する日本人が多いのは、学校でも社会でもそうした訓練を受ける機会が殆どないからかもしれない。
ヨーロッパに限らず、外国人に接する際には、相手がどこの国の人であれ、十分気を付けるべき点であろう。
イタリアの企業の九十九%はファミリー·カンパニーとの記事が九六年三月発行の英国エコノミス同族企業ト誌に出ていたが、他の先進工業国と異なり、イタリアには中小企業、特にファミリー企業の中に小粒ながらキラリと光る会社が多い。
むしろこのような中小企業がイタリア経済のバックボーン非効率な国営企業や大企業より、だとも言われている位である。
イタリアでは家族の絆が強いと言う話をしたが、これが会社経営にも反映してくるのであろうか。


ローマ時代には イタリアは欧州連合の一員だから農業政策も欧州の統一方針に従うことになるが イタリア語も出来ないので

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