ラクイラの旧市街に入る手前で私は足を止めた

ナポリ門は元々一四世紀に造られたものだが

イタリアの中心都市から見れば辺境地域だし
画家は廊下の端に固定された1点から眺めつつ、壁画の前に立っている助手に対して、描く位置を口頭で伝える。
「そこじゃない、といった具合に。もっと右上に点をうって」そうやって、下絵上に描かれた正方形格子をもとに、実際の壁面に描かれる激しくひきのばされた格子へと、主要な点や線を根気よく転写していくのだ。
この気の遠くなるような共同作業を経てはじめて、廊下に驚異のアナモルフォーズが出現するのである。
おおいに驚かせる。この摩訶不思議な技法は当時一種の流行となった。観る者の目をだまして、ミニモ会やイエズス会などの修道士兼画家たちによって、あらそうように大真面目に追求されたのが面白いニスロンは三三歳の若さで世を去った。
現存するメニャン作品とほぼ同時期に、やはりモンティ教会内にニスロン自身の手で作品が制作されたはずだが、こちらは残っていない。
これほど楽しく人気を博したアナモルフォーズも、そう、その後は価値を認められず無視されるようになった。
この衰退の理由はいまだ完全には説明されていないが、宗教観の変化やパトロン制度の変化が要因となったことは確かであるかつて与えられていたはずの宗教的理由を失った今でも、わずかに残った作品は人を驚かせるのに十分なものである。
かつて流行し、やがて衰退して今は顧みる人もいないこうしたの好例が、”驚嘆の魔術“ローマにもうひとつ残っているので観てみることにしよう。
そこはサンティニャーツイオ·ディ·ロヨラ教会という建物で、ローマの真ん中、バンテオンから歩いてすぐのところにある。

しかしラファエッロはその絶頂時に、わずか三七歳で夭逝してしまう。
弟子の作品がたった1点残されていた。ペルージャには、上半分だけが描かれただけで、しかも、未完成のしらままで放置されていた。
弟子がこの作品の制作を続ける可能性がなくなったことも意味していローマからの死の報せは、老いた師匠は、サン·セヴェーロ教会に残された未完成の壁画を見上げ、おもむろに筆をとった。
上方からは、奥行きのある空間に、立体感と感情表現に富んだ人物像を配した、弟子の野心的で新しい様式が見下ろしてくる。
しかし師匠はまったく意に介することなく、上半分との調和などはかることもなく、”時代遅れ“といわれたおのれの画風で画面の下半分を埋めつくした。
静かで透明感のある空間に、しかしそれは、ひたすら優美で明るい人物像を配する、彼が辿り着いた様式のひとつの頂点となった。
なにかからようやく解放されたかのような満足感を感じていたかもしれない。
彼はこの時、それから二年後、ペルジーノは七五年の長い生涯を終えた。
Ronaローマー驚嘆の魔術映画ローマの休日ウィリアム·ワイラー監督、一九五三年の中で、オードリー·ヘプバーン扮するお忍び外出中のアン王女がジェラートをなめる有名なシーンがある。
そのおかげで、舞台となったスペイン階段には、雨だろうが冬だろうが、ジェラートをなめている観光客が並んでいる。

過疎化が進んでいたあるいはしかし

イタリアに実在する地名

実はこの階段での飲食は原則禁止されているのだが、男前の警官たちが数人、注意しているのかナンパしているのかわからないような笑顔で、女性観光客と楽しそうにおしゃべりしているのを時おり見かけるぐらいだ。
ここがスペイン広場と呼ばれるのは、近くに同国の大使館や在外裁判所などがあったおかげである。
そのためローマでも外国人が最も集まる場所となり、スタンダールやリスト、バルザックら外国の文人たちのたまり場ともなった。
ただスペイン階段という名も通称であり、正式には、階段の上に建つ教会の名をとってトリニタ·デイ·モンティ階段という。
教会は今も昔もフランスの所有であり、壮大な階段の建設費用も実はすべてフランスが出している。
せっかく支払ったのに名前だけとられて、フランスはずいぶんと損をしているわけだ。
サンティッシマ·トリニタ·デイ·モンティ”山の上の聖三位一体教会”の意には、一六世紀半ばのダニエーレ·ダ·ヴォルテッラによる

<聖母被昇天>

などのフレスコ画が残っている。

イタリアの事なので


柿が東洋から来たと言うことは知っていても

ダニエーレは当時の代表的な画家の一人だったが、ミケランジェロの

<最後の審判>

にある裸体群像の性器を覆い隠すための腰布を描くよう命をうけたので、あわれな「イル·ブラゲットーネIlBraghettone」という不名誉なあだ名のほうが、ことに今でも-腰布、本名よりもはるかによく知られている一般には公開していないゾーンに、この修道院の一角、一本の不思議な廊下がある。
廊下に一歩足を踏み入れると、左奥の壁一面にモノクロで描かれた巨大な絵が目に入る。
そこでは木の下で、一人の聖人がひざまずき、手を合わせて祈っている。
ゆがところがどうだ!歩を進めて絵に近づいていくと、絵は途端にグニャグニャと歪み始め、さらに歩み寄って絵の正面まで来ると、それはもう意味のない奇怪な線でしかない。
いや、注意してよく見ると、線の間にはチョコチョコと小さな船や港が見える。
そこではじめて、奇怪な線はここでは風景画の中での山の稜線や海岸線として機能していることに気づかされるのだ。
描いたのはエマニュエル·メニャン、制作にあたって指導的役割を果たしたのがフランソワ·ニスロン、ともにフランス人である。
二人とも、モンティ教会の所有者であるミニモ会の修道士だった。ニスロンは当時、こうした歪曲画(アナ同教会では数学教授も務めていた。
の理論の第一人者であり、フォーズ)モ彼が著わした書には、この手法の解説が詳しくなされている。

ミラノのサンシーロ·スタジアムはACミランとインテルのホーム

イタリアの方が一年早く学校教育が始まるので

画家は廊下の端に固定された1点から眺めつつ、壁画の前に立っている助手に対して、描く位置を口頭で伝える。
「そこじゃない、といった具合に。もっと右上に点をうって」そうやって、下絵上に描かれた正方形格子をもとに、実際の壁面に描かれる激しくひきのばされた格子へと、主要な点や線を根気よく転写していくのだ。
この気の遠くなるような共同作業を経てはじめて、廊下に驚異のアナモルフォーズが出現するのである。
おおいに驚かせる。この摩訶不思議な技法は当時一種の流行となった。観る者の目をだまして、ミニモ会やイエズス会などの修道士兼画家たちによって、あらそうように大真面目に追求されたのが面白いニスロンは三三歳の若さで世を去った。
現存するメニャン作品とほぼ同時期に、やはりモンティ教会内にニスロン自身の手で作品が制作されたはずだが、こちらは残っていない。
これほど楽しく人気を博したアナモルフォーズも、そう、その後は価値を認められず無視されるようになった。
この衰退の理由はいまだ完全には説明されていないが、宗教観の変化やパトロン制度の変化が要因となったことは確かであるかつて与えられていたはずの宗教的理由を失った今でも、わずかに残った作品は人を驚かせるのに十分なものである。
かつて流行し、やがて衰退して今は顧みる人もいないこうしたの好例が、”驚嘆の魔術“ローマにもうひとつ残っているので観てみることにしよう。
そこはサンティニャーツイオ·ディ·ロヨラ教会という建物で、ローマの真ん中、バンテオンから歩いてすぐのところにある。

ミラノがイタリア平均を遥かに上回る老人の町であることで


ミラノ市内の墡店で写真入りのオペラ辞典を買い求め
筆者は、ローマへ学生や友人·知人が来たとき、必ずここを案内する。
もちろん、彼らが驚く顔を観るためだー。その教会の中に一歩足を踏み入れると、まずは身廊部の巨大な天井画が目に入る。
はじめ、そこに描かれている建築物は奇妙に歪んでいるが、足を進めるにつれてそれは徐々に修正されていく。
そして鑑賞者がちょうど身廊部の中心に到達それら建築物にはりめぐらされた遠近法の仕掛けが、した時点で、すべてピタリとあうように設計されていたことがわかるのだ。
その地点から真上を見上げると、まるで長方形の建物に囲まれた中庭にいるかのように、真ん中からぽっかりと空が見だまえる。
CGによる映画やアニメを見慣れた私たちの目は、これが絵画であることに騙されない。
しかし、この作品が描かれたのはおよそ三00年前。テレビなど見たことのない当時の人々が、この絵を最初に観た時の驚きを想像することはさして困難ではないはずだ。
作品の細部へと注意を向けてみよう。天空の最も高いところに人が一人昇っている。彼はイグナチウス·デ·ロヨラ、イエズス会の創設者である。そして周囲の建造物をみわたせば、長辺に11か所ずつの計四か所で女性が1人ずつ描かれており、彼女たちの足もとにそれぞれと大きく記してある。
Europa,Asia,Africa,Americaつまり彼女たちはそれらの大陸をあらわす擬人像で、あわせて

<四大陸の寓意>

という主題になる。
新旧教の分裂以後、カトリック教会はプロテスタント側に奪われた失地を回復せんとばかり、全世界へと伝道事業をおしすすめていた。

イタリアは欧州連合の一員だから農業政策も欧州の統一方針に従うことになるが

ヨーロッパの土を踏む機会もなかった

その運動の中心をになったのがイエズス会であり、私たち日本人にはおなじみの聖フランシスコ創設メンバーたちからしてすでに,ヨーロッパを遠く離れての精力的な布ヴィエリのように,全世界の見知らぬ地まで、教活動にたずさわっていたイエズス会にはそれぞれ大陸担当のようなものがあり、ザヴィエルはもちろんアジア方面のリーダーだったので、絵の中でもアジアの擬人像の上に大きく描かれている。
つまりこの作品では,イエズス会が世界伝道活動を自画自賛しているのである。
描かれている四大陸が当時知られていた世界のすべてであり、オーストラリアなどはまだない。
当時のヨーロッパの人々が持っていた、各大陸についての知識やイメージがわかるのが興味深いヨーロッパは豊かさをあらわすために恰幅良く、もちろん白人で馬にまたがり、世界に君臨していることを示すように地球儀を抱えている。
古くから知られていたアフリカは象牙を手にし、ワニにまたがる黒人女性の姿で描かれる。
アメリ中国人風と言えなくもない容貌の女性が、カはアメリカ先住民族で、虎の背に乗る最も微妙なのがアジアであり、中東のラクダに乗っている。
炎で追いやられているのが未開の異教徒たちである。いずれの地域でも、さらに教会の奥へと目をやると、丸屋根がある。
このクーポラの驚くべき仕掛けについては図版で見ていクーポラではなぜこのような作品が描かれたのだろう。
ただくとして、をたたえるために計画されたイエズス会第二イタリア語読みでサンティニャーツィさこの聖堂は、聖イグナチウス年の完成を目指していた一六二六年に建てられ始めた。
もともと会の認可後100年にあたる一六四位の教会であり、未完成のまま一六五○年の聖年に一資金を提供していた枢機卿が亡くなったこともあって建設は遅々として進まず、が、般公開された。
そこには当の聖堂は今のところ一部分が完成している。

Tagged as: ,