イタリアの社会も人もどうも同じような面があるようだ

それともドイツを拠点とする神聖

ローマに生まれたシーザー

ロンのおかげで、経済的困窮の果てに、一家のすべてのしかしゴンザーガ家の末期、一七世紀に当主となったヴィンチェンツォ二世は、後の祭りだった。
そのあまりの低価格に半島中が憤慨したが、コレクションをイギリス国王へ叩き売ってしまった。
はがして売ることができない壁画ばかりなのは、そういう今もマントヴァは見所が多い都市だが、それらがすべて訳なのであるFerraraフェッラーラ波乱の人生に咲いた、うたかたの恋親愛なる私のピエトロ、あなたからの手紙を受け取り、とてもうれしく、おおいに慰められました。
(ルクレツィアからベンボに宛てた、現存九通のうち三番目の手紙ミラノ、アンブロジアーナ図書館、筆者訳)ルクレツィアは一四八年四月一八日、生涯童貞であるはずの聖職者ロドリーゴ·ボルジアと、その愛人ヴァノッなおかつ当時の誰もがそのことを知っていた。
ルクレツィアが一ツア·カッターネイの間に生まれ、二歳の時、父は教皇アレクサンデル六世となる。
一五○三年に亡くなるまでの1年の在位期間は、ながらくイタリアに富をもたらしていた金融業の斜陽が顕著になった時期であり,外国からの侵入をたびたび許した危機の時代であり、おまけにキリスト教世界には大分裂の序曲が鳴ろうとしていた。
悪名高いアレクサンデル六世ではあるが、こうした局面では、倫理的に優れた指導者よりは、資金力と政治的才覚史を持ったリーダーが必要だったとも言えるだろう。
うまい具合に、彼には軍事面の一切を切り盛りしてくれる優れた息子チェーザレがいた。

その気になれば手打ち蕎麦を作ることもできる

ただでさえ姻戚関係が重要な政治的意味を持つ時代にあって、激動期に法王の娘として生をうけたルクレツィアには、穏やかな一生を送ることができる可能性など最初からなかった。
彼女は三度結婚した。神の前で誓った結婚には原則として離婚は認められていなかったが、最初の夫ペーザロ伯ジョヴァンニ·スフォルツァは、性交渉に至らなかったことを意味する不名誉な白い結婚を理由に離縁させられた。
性的不能者として恥をかかされた彼も、しかし殺されなかっただけましだった。
離婚騒動のさなか、ルクレツィアはスペイン人従者ペドロ·カルデロンペロットと結ばれて妊娠するが、怒った兄チェーザレによってペロットは殺害されてしまう。
生まれた子は法王にひきとられて隠された。正式に二番目の夫となったビシェリエ公アルフォンソ·ダラゴーナもまた、何者かによって襲撃された。
あわれルクレツィアは、愛する夫を自ら献身的に看病している。しかし妻が寝室を離れたわずかな間に、夫は息の根を止められてしまう。
誰の目にも、一連の騒動がチェーザレの意志によることは明らかだった。
ボルジア家の不思議なところは、家族のせいでこれほど残酷な運命にさらされながらも、ルクレツィアと父と兄との間きずなが一貫して強い絆で結ばれている点である。
このことから、一家の間に近親相姦があったと考える人も多い。同家が得意としたとされる正体不明の毒薬カンタレッラといい、ボルジア家につきまとう噂にはろくなものがない。
ルクレツィアの評価も同様で、血に飢えた悪女として描かれることもあれば、だらしない淫婦として評されることもぁさもなくば運命に翻弄されてばかりのか弱い女扱いだ。

 

ローマはそれを消費搾取于るところと言うことになる

車内でも堂々と電話をしますが「人々の意見がり、高階秀爾氏も言うとおり、ルクレツィアほどまずほかにない」。
極端に対立している例は、一五〇二年、三度目の結婚のためにフェッラーラに移り住んだときも、最初は四面楚歌の状態だった。
新婦の前夫たちの不幸を考えれば当然のことだ。翌年、アレクサンデル六世が世を去る。後ろ盾を失ったチェーザレの足場も、急にガラガラと崩れ始めるルクレツィアが、当代きっての詩人ピエトロ·ベンボと知り合ったのは、実家に暗雲がたちこめ始めたこの時期のことであり、フェッラーラに来てまだ日が浅い、つまりは彼女がまだまだ孤独な環境に置かれていたころにあたる。
私自身の手で綴ったこれらの短い言葉で、私のあなたに対する、決して変わらぬ深い想いを、誓いを込めてお伝えします。
同、第四の手紙人文的教養を誇った義姉イザベッラ·デステの手紙と比べれば、ルクレツィアの文章の、なんと熱く素直なことだろう。
ルクレツィアは、ベンボにあてて「クリスタルcristallo」を送っている。
これが本当のクリスタルだと考える人もいれば、「心の暗喩だととる見方もある。
cuore」私にとってこのクリスタルは、インドの海のすべての真珠をあわせたよりも貴重なものです。
同、ベンボからの手紙ミラノのアンブロジアーナ図書館には、ルクレツィアからベンボに宛てた九通の手紙が残されているだけでなく、ルクレツィアが詩人へ贈った金髪の房も保存されている。
それを受け取ったベンボの返事も残っている。一妻あなたはいつも、私の想いを一層熱くさせるような驚きをもたらしてくださいます。
今日もまた、あなたの輝くような額をおおっていたものでそうしてくださったように。
ベンボからの手紙同·この二人の間に実際の肉体関係があったかどうか、これまでさかんに詮索されてきた。
肉体関係はあったかもしれないが、それはどうでもよいことだ。実家の没落によって自らの利用価値がなくなった後も負けることなく遠い他国で彼女が気丈に生き抜くために、詩人の知的な励ましは大いに力になったことだろう。

イタリアのロンバルディア州の語源はこのランゴバルドの意味族です一方、ダンテにとってのベアトリーチェよろしく、ルクレツィアがベンボの詩作におけるミューズとなったことも確かだ。
詩人がフェッラーラを去ってからも、詩的な愛のやりとりは続いた。
女傑イザベッラ·デステも、初めは実家に嫁いできたこの義理の妹のことを良く思っていなかった。
しかし不思議なこいつしかルクレツィアに好意を示すようになっとに、イザベッラはじめエステ家の人々も、フェッラーラの市民たちも、た。
当初は妻にまったく関心を示さず、大砲の製作に没頭してばかりいた三番目の夫アルフォンソ·デステも、やがて妻を穏やかに愛するようになる。
妹の懸命の嘆願も効果なく、風雲児だった兄は一五〇七年、落ちぶれて異国で世を去る。
その後はしかし、ルクレツィアはフェッラーラの地で、五人の子供に恵まれたうち1人は11歳で亡くなる
そして!五一九年、アルフォンソとの六番目の子通算で八人目を産んですぐ、生まれたばかりの娘と相前後して、ルクレツィアは産褥熱で世を去る。
享年三九歳。お互い少しずつ歩み寄って、最後は穏やかな愛をはぐくむようになった夫に見守られながらの最期だった。
Canossaクツサーカノッリの屈辱「そういえば高校の世界史の授業で聞いたことがあるな」とご記憶の方もおられるだろカノッサの屈辱という言葉を、う。

ローマ帝国は完全に滅亡するのでした

ローマ帝国を滅亡に追い込むことに成功したのは西ゴート族「皇帝が教皇に赦しを乞う」事件だと漠然と説明されてはいるものの、いったいどのような出来事で、いかなる背景のもとに起きたのか。
歴史上有名な事件ながら、実のところほとんど知られていないその舞台と主人公たちをご紹介したいかつてはトスカーナの辺境イタリアに実在する地名である。
と呼ばれる域内にあったが、現在はエカノッサとは,レッジョ·ネッレミーリアから二キロほどなので、車で行けば町からわりと近いミリア·ロマーニャ州のなかにある。
のだが、まわりにほとんど何もないところとあって訪れる人もほとんどいない。
小さな丘が続く一帯をカノッサへ向けて走っていると、ちょっとした丘の上には、かならずと言ってよいほど城砦の跡そのむかしの群雄割拠時代には、こうした城砦をひとつずつ落としながら、領地の陣取り合戦ががあることに気がつく。
おこなわれていたのだ。ひところは周囲一帯を睥睨していたはずの城砦の、かつての威容も今はなく、カノッサ城もそのひとつだった。
しかし、壁の一部をわずかに残すばかりである。五八〇メートルの高さしかない小さな丸い丘の上に、長い間、司教などの聖職ポストは神聖ローマ皇帝が任命していた。
これに対し一○五九年、ラテラノ公会議は、聖職を任命する権利聖職叙任権は教会にしかないことを宣言した。
しかし圧倒的な武力を背景に、皇帝の威光はカトリック世界をまだまだ覆っていた。
そんななか一0七三年、イタリア生まれのヒルデブラントが、新教皇グレゴリウス七世として選出される。
当時すでに五〇歳をすぎていたが、ここから彼の、改革と闘争にあけくれる日々が始まった。
彼は聖職の売買を禁止し、聖職者の妻帯を禁止した。

ミラノの町は他の

ローマは曲線が多くなるのですつまりこの時まで、妻子を持つ司祭は数多くいたのである新教皇は彼らを容赦なく罷免した。
一○七五年には教皇位の優位と不可侵、そして世俗権力による一切の聖職任免の禁止を公布する。
聖職叙任権闘争の堂々たる宣戦布告である。怒った神聖ローマ皇帝ハインリッヒ四世は独自に宗教会議を開催し、グレゴリウス七世の廃位を一方的に宣亨る。
狼だからだ。ローマに、教皇を連れて皇帝がやって来るだろう。なぜならそこにいるのは教皇ではなく、こうした侮辱がなされている間、自らの剣で特使を殺したい衝動に駆られた。
もし主がおしとどめ聖庁長官は怒りのあまり、ていなければ、殺していたかもしれない。
(ドニゾーネ、カノッサのマティルデの生涯、一二世紀、パオロ·ゴリネッリ編による一九八四年ジャカブック版より、筆者訳)そこで教皇は伝家の宝刀を抜く。
皇帝を破門したのである。破門は、当時のキリスト教世界では死に等しい。


ローマ帝国を滅亡に追い込むことに成功したのは西ゴート族 海外に日本のキャリアの回線があるわけではないので ラクイラの旧市街に入る手前で私は足を止めた

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